遠い昔の事 その14

病室に入った私は直ぐに父のそばに立ち

上から顔を覗き込んだ。

頭には何重にも巻かれた真っ白な包帯、

顔も腫れあがり、いたるところから管が出ている。

わたしは父の手をとり少し強く握った。

温かかった。

病室から出た私にイさんがそっとハンカチを差し出してくれた。

何の強がりかはわからないが私は大丈夫と手で遮った。

それから受け取った荷物を確認したいのでホテルに帰りたいとイさんに告げた。

病院を出るといつも2,3台客待ちのタクシーが見えたがこの日は珍しくいなかった。

イさんが少し待てば来ますよと言ってくれたがわたしは今、止まってはダメだという気がして坂の上の大通りまで歩きましょうといい、そのまま歩き出した。

肩にウエストポーチをかけ、父のキャリーケースを引っ張りもう片方の手には手提げバッグを持ち少し速足で坂を上っていく。

安物のキャリーケースの小さなキャスターと道の凸凹で不快な

グァタボコッ、グァタボコッと言う音が耳に衝く。

生温かく重い空気がさらに不快だ。

嫁と子供を働かせておいて自分は旅行気分でオンナに会いに行き

そこで飲めもしない酒飲んでぶっ倒れる。

嫁も子供も初めての海外旅行が意識不明の

父の面会なんて、笑えやしねえ。

挙句にその女にも金蔓の扱い。

格好悪すぎるだろ、ざまあねえなっ。

父に対する怒りと悲しみ、哀れみが混ざり合って感情が爆発してしまった

こぼれない様に少し上を向いて歩いていたつもりだが頬を伝い筋になる、わたしはいつの間にか号泣していた。

ア~~ア~~ブァ~~~

物心ついてから、ここまで泣いた事は無いと思う。

ア~~~ア~~ブァ~~~

その時、わたしの右肩に “ドーン”

右前方を歩いていたイさんが振り返りざま

わたしに肩パンをくらわし、間髪入れずに

道の真ん中でビービーナクジャナイヨ”と

いつもの流暢な日本語とは少し違う感じで言い放った。

普通なら何するねんと怒るところだが、そうはならなかった。

イさんの目も真っ赤でウルウルだったから。

さっき父のオンナの通訳の時に感じた違和感は、きっと直訳では無くわたしの事を考え訳してくれていたからだと思う。

イさんは本当にやさしい人だ。

肩パンのおかげで涙は止まった。

イさんがハンカチをそっと差し出し、

今度は素直に受け取った。

でも目と鼻と口、全部から放水していた

わたしは使うのをためらった。

そんな時、夕立のような雨が降ってきた。

わたしはハンカチを握りしめ天を仰いだ。

頭も顔も雨で洗い流されてスッキリした。

坂の上まで来るとタクシーは直ぐにつかまった。

別れ際イさんは“さっきはごめんなさい”と言った。

わたしは“母もわたしもあなたがガイドさんで良かったと思っています。ありがとうございます。”と言った。

宿泊先のホテルに着いた私は降り際、運転手さんに

シートベタベタに濡らしてごめんなさい”と言いながらシートを指さしてから手を合わせ頭を下げた。

運転手さんは笑顔で“ケンチャナヨ”と言ってくれた。

直ぐに部屋に向かうのをためらいロビーの入り口付近で少し時間をつぶしていた。

すると、いつもいるロビーの人が来て

これ使ってください”と言って大きめのタオルを差し出してくれた。

それを見て急に体温が戻ってきたのか少し寒く感じた。

ありがとうございますと言いそれを受け取り頭から全部と持っていたカバンを拭いた。

タオルを返す時に、疲れて寝ている母を起こしたくないのでと事情を説明して部屋のスペアキーを貸してもらった。

本当はダメなことだと思うのだが、初日に受付をしてくれた人で
母とわたしが親子で数日間宿泊すると知っていたから貸してくれたのだと思う。

でもほんとの本当のところは顔面大洪水になった顔を母に見られたくなかったからだ。

スペアキーを受け取った私はお礼を言って

直ぐに返却に来ますと告げ、急ぎ部屋に向かった。

後ろから何とかかんとかケンチャナヨと聞こえた私は、

振り返り頭を下げた。

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