“コンコンコン”失礼します。
引き戸か押戸か、はたまた横にスライドかは忘れてしまったが少し重いドアを開け
母と私とイさんは中へ入った。
大きな黒の革張りの椅子の背が見えた。
そしてゆっくりと時計回りに院長の姿が見えた。
今でこそだが、このシーンを容易に思い浮かべられる方は多いと思う。
こっちを向いた後に
“デデ~ン”と言う効果音とセットにすればなおさらだ。
しかし当時はまだ2000年にもなっていない。
もしあの番組がこの状況の前に放送されていたらと思うと少し怖い。
先生はこがけんさんや岩井ジョニ男さん、Mr.オクレさんの系統の顔だった。
“この度は大変お世話になりました”母と私は深くお辞儀をした。
先生は“どうぞおかけください”と私たちをソファー促しながら
自身もテーブルを挟んだ対面のソファーに腰を下ろした。
“突然の出来事で大変驚かれたことと思います。”とねぎらいの言葉をかけていただいた。
“昨日の今日でお疲れのところ申し上げにくいのですが”と続き
“この病院ではこれ以上は出来ません”と
???
父は病院に着いたときは意識があったようだが程なくして意識がない状態に陥ったようだ。
これはさっき聞いていた。
原因はくも膜下出血で脳動脈の分岐点にできる動脈瘤が破裂したのだという。
わたしはとんだ思い違いをしていた。
この病院でしばらくお世話になると思っていたのだが、そうではないらしい。
どうやら直ぐにでも日本に連れ帰らなければならないようだ。
“一先ずお父様に会われますか”と先生がおっしゃり、母と私は“お願いします”と答えた。
それではと立ち上がった先生の後に続いて
長い廊下を歩いて行った。
いよいよ父との対面ではあったが、
なぜかしらそんなに緊張はなかった。
廊下を渡り少し開けた場所の右手に大きなガラス張りの窓がある部屋があった。
その大きな窓から色々な装置や器具に囲まれたベッドが見えた。
その装置や器具から何本もの管がベッドの上のものに繋がれている。
ものと言う表現は不適切ではないかと思われるかもしれないが
そのベッドに寝ている父はわたしの知っている父とは程遠かった。
上半身は少しはだけていてそこに丸いシールが張り付けてあり、その下から管が確認できた。
それが胸辺りから数か所と頭?辺りから数か所。
これは今だから言えることかもしれないが
頭?と書いたのは、理由がある。
父の頭部にはMISIAさんの巻くターバンの倍くらいの量の包帯が巻いてあり、
顔は浮腫み過ぎな位にパンパンで頭部と合わせると、ちょっとファンシーな感じに描いたキノコのイラストのようだった。
“だれやねん”
それがその時の素直な思いだった。
まだ今日はその部屋には入れないらしい。
その時は横にいる母の顔は見ることができなかった。
その少し後ろに立っていたイさんの目が真っ赤になっているのが 印象に残っている。