遠い昔の事 その12

受付でイさんが素早く手続きを済ませ

わたし達は昨日行った大きなガラス窓のある病室へと向かった。

昨日は気付かなかったが廊下にも大きな窓がありそこから木々の生い茂った山が見えた。

そう言えば昨日食堂からホテルまで歩いて帰る時も山が見えていた気がした。

散髪屋ばかりが気になっていたので不確かだが。

そして父の居る病室へ着いた。

父の応急処置をして、最初に私たちに

父の搬送時の状況を説明していただいた
先生だ。

病室の中からこちらに気づき出てきてくれた。

イさんと二言三言話した後こちらに向かって

“どうぞ”といい病室のドアを開けてくれた。

日本にいたころは父が見えたら脱兎のごとく逃げていた。

しかし今は牛歩のようにゆっくりと父に近づく。

ガラス窓一枚とはこんなにも厚いものなのかと、この空気感に押しつぶされそうになる。

ようやく父に触れられるところまで来ると

母がチューブに繋がった父の手を取り名前を呼んだ。

何度も何度も呼んでいる。

わたしは母の後ろにいたが見なくてもわかっていた。

母が少しずれ私の前にスペースが出来る。

戸惑っているわたしを後ろからイさんが少し押す。

母がいたところの場所だけシーツがポツポツと薄いグレーになっている。

父の頭の包帯が昨日よりさらに白く見えた。

しばらくして先生から

“そろそろ会議室の方へ”と促され病室の外に出た。

イさんが会議室の方へとわたし達を誘導しようとした時、母の足元がふらついて転倒しそうになった。

イさんとわたしで支えながら近くにあった椅子に母を座らせた。

“大丈夫や”と母は言うが、この2.3日の事を

考えると大丈夫なはずがない。

イさんとわたしは母へホテルに戻って少し

休むように言った。

嫌がる母を何とかタクシーに乗せホテルに送ってもらった。

わたしはイさんに連れられ、そのまま会議室に行った。

ノックをして部屋へと入る

少し大きめの長テーブルが2×3で置かれていて真ん中のテーブルに3人の先生が座っていた。

一礼してからその対面にわたしとイさんが座った。

まずイさんがこちら側を見て母は来ないと先生方に告げた。

先生方は頷き一人の先生が父の今の病状について話してくれた。

“父の状態は極めて深刻だが今は少し落ち着いている”

“ただし、頭の出血が少し落ち着いているだけで

いつまた危険な状態になるかわからない”

“今のうちに日本へ連れ帰るのをお勧めします”

イさんがテキパキと訳してくれて

わたしはうんうんと頷くばかり。

そして別の先生が

父の搬送は病院から空港まで救急車で運ぶ事と飛行機内で

呼吸の補助をするための先生を1名付き添わせてくれる

と説明してくれた。

わたし達がすることは父の航空券の手配と

日本の受け入れ先病院の確保とあとは定かではないが

韓国の公的機関へ書類を提出しに行くことだったと思う。

忘れないように間違わないように急いでメモをしたが

走り書きで汚い字だ。

“そちらから聞きたいことはありますか?”

と問われたが、何を聞いていいのかわからず“特にありません”と答えた。

先生方にお礼を告げて深く一礼し会議室を出た。

後は荷物の受け取りと今回の最難関だ。

父のオンナに会う。

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