遠い昔の事 その16

韓国に着いて4日目の朝

近くのコンビニで買ってきたものを食べ

9時にはロビーでイさんを待っていた。

まずは病院で証明書をもらい、それをもって役所

最後に空港に行くという流れだ。

9時を回ったところでイさんがロビーに迎えに来てくれた。

昨日の事は無かったかのようにイさんは今日の流れを

テキパキと説明してくれた。

4日目ともなると街の風景や道順などがわかるのが

少し嬉しかった。

わたし達が泊っているホテルの周りには散髪屋さんと

コンビニが多かった。

道路はあまり舗装が行き届いてなくタクシーは

たまにゴトンと突き上げられた。

病院に着くとイさんはここで少しお待ちくださいと言って。

何処かにスタスタと行ってしまった。

イさんは私たちにとって完璧な人だ、

という前置きをもって言うが、

早歩きの時の頭からつま先までピーンと

なった感じは少し面白かった。

ピーンとなったイさんが私たちの方へ

戻ってきた。

そして一緒についてきてくださいと言い、

受付カウンターの方にいき、こことここに

サインして下さいと。

わたしはそれに従い3ヵ所ほどにサインをした。

サインを終えるとイさんはわたし達に先ほどの場所で

待っていてくださいと伝えると

またピーンとなって行ってしまった。

わたしと母は元居た場所に戻りイさんを待っていた。

少ししてイさんが戻ってきたと思ったら、

すぐさま次に行きましょうと行って。

病院の玄関まで歩きだした。

あわただしく病院を後にしたので

タクシーの中でイさんに何かあったのかを

聞いてみると眉間にしわを寄せて

“何もないです”と言った。

少し調子が悪いのかなと思ったが

それ以上は聞かなかった。

次の場所に着くと母がトイレに

行きたいというのでわたしとイさんは少しそこで

待っていた。

イさんが先ほどはすみませんと言ったので、

病院で何かあったのかと聞いてみると

病院に着いたときに父のオンナが目に入ったので

廊下の奥で少し話したと言った。

エッ、瞬時に判断して行動に移す、イさんはSPでも

経験しているのかと思った。

そこで話があり搬送時の10万円を払ってくれと言われたらしい。

それで少し気が立っていたらしい。

わたしは10万円の事をすっかり忘れていた。

向こうにとっては死活問題なくらい大事なことなのだろう。

わたしはイさんに申し訳なく思った。

今は手持ちがなくカードでは払えないので

明日イさんに渡すので代わりに父のオンナに渡してもらえないか

頼んだ。

イさんは“もちろん良いですよ、あんな奴に母を合わせるわけにはいかない”

と鼻息荒く言ってくれた。

イさんは本当に頼もしい。

それと父が持っていたであろうビデオカメラの件も伝えると

“それは絶対に怪しい”とまた鼻息が荒くなっていた。

母が帰ってくると3人でその場所での手続きを終え

空港へと向かった。

空港へは少し時間がかかったが黒のタクシーは

乗り心地もよく快適だった。

途中の道は高速道路なのかすごくスピードが速かった。

空港に着くとイさんが直ぐに受付に行きわたし達は

長い椅子に2人並んで座っていた。

前を行き過ぎるカップルや親子ずれ、速足のビジネスマン

この人たちはどんな用事でここに来たのだろうかと思ったりして

時間を潰していた。

ピーンとしたイさんが帰ってきて

空港の受付の奥にある小部屋へと案内してくれた。

2×2の長テーブルに2人の空港職員さんらしき人が座っていて

わたし達はその対面で話を聞くかたちだ。

父を飛行機で搬送するには座席を6席分使い

付き添いのお医者さんとわたし達親子の席3席で

合計9席分が必要だと座席表を使い教えてくれた。

費用は30万円ほどかかるらしい。

搭乗の際わたし達は一般乗降口からで父と付き添いのお医者さんは

別の入り口から先に乗りこむ。

降りる際わたし達は同じだが父とお医者さんは

最後に別の出口から出ますと説明してくれた。

ふんふんと聞いていたが、そうだイさんは日本に帰る際は一緒では

ないんだと思うと少し不安になった。

支払いはこの後直ぐに済ませておいてくださいとのことで

わたし達は支払い窓口に行った。

父は旅慣れていたと思う。

わたしが知っているだけで10か国は行っていたと思う。

そのたびにその国の民芸品を買ってきていた。

お土産ではない。

自分のためのものだ。

同年代位の人ならわかると思うが旅先で買った

小さな提灯やペナント(二等辺三角形の頂点を右に90度倒した旗

のようなもの)を収集する癖が父にはあった。

年月を経てそれが国内版から海外版に変わったのだ。

きっとその癖はおじいちゃんから受け継いだものだ。

おじいちゃんも旅行の好きな人だった。

おじいちゃんの部屋にはいろいろな物があった。

ウクレレのようなものやごつごつした石や長いキセルや

銀製品の食器みたいなものなど。

その中でも結構大ぶりな巻貝があり、おじいちゃんは

これはお金なんやとしきりに小さなわたしに

説明してくれていた。

昔の人は皆そうだったかもしれないが

今で言うDIYが得意なおじいちゃんは

ある時、海外に移住していた友達に会いに行った。

離島で回りは海の小さな島だと言っていた。

そこでおじいちゃんはその友人の家の周りの柵と家の補修を

頼まれたそうだ。

その島ではたいそう歓迎されたそうで現地の人とダンスパーティをしたり

特別な料理をふるまわれたらしい。

腰蓑を着けて上半身は何もつけていない男女と踊りまくった

と嬉しそうに言っていた。

特別な料理は大きなコウモリの丸焼きで意外と美味しかったらしい。

その島にはトイレがなかったらしく小は浅瀬で

大は少し泳いで立ち泳ぎでというのが決まりらしく

おじいちゃんは次の日のほとんどを立ち泳ぎしていたと

言っていた。

帰りの日おじいちゃんのお友達が柵のお礼と言って大きめの

巻貝をくれたらしい。

本当なら大きな石のお金だけどそれは持って帰れないから、

これでと言って貰ったと嬉しそうに話していた。

きっと父もおじいちゃんの姿を見て

旅行好きになったんだろうな。

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